キリスト教とは?基礎+αの知識を簡単に紹介!

こんにちは、都戸佐呉(ととさくれ)です!
ハロウィンやクリスマス、バレンタインデーなど、日本でポピュラーなイベントにはキリスト教の行事が少なくありません。
ところが国内のキリスト教信者=クリスチャンの数は、むしろ他の宗教の信者と比べても少なく、わずか1%ほどしかいません(2018年NHK調査)。
日本では、キリスト教文化について肯定的に考える人は少なくないものの、そもそも宗教自体にあまり関心のない人が大多数です。
自分の宗教についてよく分からない人や無宗教と答える人も多く、NHKによる「信仰している宗教」のアンケート調査でも「無宗教」が62%を占めています。
しかし宗教とは本来、人の心を支え、倫理道徳的に正しい方へ導き、信者をはじめとする人々の健康や生命を守るためにある、と私は考えています。
この記事では、世界三大宗教の一つであり最も信者数の多いキリスト教の成り立ちやカトリックとプロテスタントの違い、日本におけるキリスト教の変遷などについて簡単にご紹介していきたいと思います!
キリスト教の成り立ち
イスラエルの都市・ナザレの馬小屋で生まれたイエスは、ユダヤ教に疑問を持って行動し、数々の奇跡を起こしながらも最後は十字架刑に処されてしまいますが、3日後に復活しました。
という話については、小中学校の頃に通学路でパンフレット・リーフレットが配られていたのを受け取ったり、中学や高校の社会科の授業で習ったりして知っている人も多いかと思います。
中には、漫画『聖⭐︎おにいさん』や上馬キリスト教会の書籍などから知識を得た方もいるかもしれません。
(どちらもおすすめなので、まだ読んでいない方はぜひ読んでみてください!)
イエスが復活の40日後にオリーブ山山頂から天に昇った後、弟子の1人であるパウロ(※諸説あります)が創始したのがキリスト教です。
これも知っている人は多いかと思われますが、「キリスト」とはイエスの名字ではなく、ギリシャ語の「クリストス」の日本語的表記です。
また、クリストスはヘブライ語の「マシアハ(油を塗られた・注がれた者の意。のちに神的な救世主の意)」=「メシア」に当たります。
カトリックとプロテスタント
カトリック
ローマ教皇を最高指導者とする、キリスト教最大の教派です。
その教えは「聖書と聖伝」という言葉で表され、宗教改革以降のトリエント公会議において再確認されました。
カトリックの聖職には序列があり、「司祭=神父」は男性のみがなれます。神父は生涯を神職に献げるため、結婚はできません。
プロテスタント
16世紀に、マルティン・ルターによって宗教改革が起こった際にカトリックから分離した諸教派です。プロテスタントとは「反抗する者、抗議者」の意味で、カトリック以外の教派はおおよそプロテスタントであると解釈できます。
プロテスタントにおいては「聖書のみ」が重要な教理と位置付けられており、教職者の「牧師」に関してもカトリックと異なり「神のもとにおいては一般信徒と平等」という考えです。
牧師は女性でもなることができ、結婚・出産も許されています。
カトリック・プロテスタントともに教典は(旧約の一部・新約)聖書ですが、1962~1965年に第2ヴァチカン公会議が開かれる頃まではそれぞれ異なる翻訳の聖書を用いていました。
現在は、双方が共同翻訳した聖書が用いられる傾向があります。
日本におけるキリスト教
日本にキリスト教が入ってきたのは16世紀、フランシスコ=ザビエルがフィリピンでヤジロー(アンジロー)という日本人に会ったことがきっかけでした。
その後、織田信長が京都に入り、京都や安土城下での布教が認められて教会やコレジオ(神学校)がつくられました。
その時の教会は、崎津教会(熊本県天草市)のような畳敷きの教会だったと考えられます。
崎津教会
http://www.asahi.com/special/culture/gallery/christian/sakitsu03.html
しかしその後は布教を制限・禁止されていくこととなり、当時の信者・キリシタン達は開国後の1865年、長崎の大浦天主堂を訪れた婦人たちが、「自分たちは隠れキリシタンである」と告白するまで厳しい弾圧に耐え続けることになります。
キリシタンという呼称は、ザビエルが伝えたカトリックの信者・伝道者に対するもので、鎖国中も交易のあったオランダ人はプロテスタント信徒だったためキリシタンとは捉えられていません。
あくまで歴史用語であり、現代日本では「クリスチャン」の呼称を用います。
終戦後は一時的にキリスト教ブームが起こったものの、長くは続きませんでした。
日本国内では、カルト教団や過激派組織による国内外でのテロ事件のイメージからか、「宗教」のワードやそうした話題が敬遠されがちな傾向があるように思われます。
キリスト教式の結婚式などはかなりメジャーですが、立ち会う神父・牧師が本来葬式に用いる紫のストールを巻いた偽者のケースがあるなど、宗教的な意味合いが薄く形式に重きをおいたものが多いようです。
最後に –改めて「宗教」とは–
宗教は、文化や思想、倫理観、風土など社会や人間を形成する根幹に影響を与えるものです。
芸術や伝承、最新の科学技術、食文化など、ありとあらゆる分野、人々の生活の中のいたるところに関わってきます。
日本で宗教というものに対して「怖い・怪しい」などのイメージが抱かれやすいのとは逆に、アメリカなどの国では「自分は無宗教だ」と言うと恐がられたり警戒されたりすることが珍しくないそうです。
それは、彼らの中で宗教と倫理道徳が強く結びついており、「宗教を持たない=倫理道徳を持ち合わせていない」と解釈されるからではないかと思います。
先ほども触れたように、日本では「宗教」というとカルト教団や過激派組織などテロリストのイメージが強いという人もいるかもしれません。
しかし、冒頭の繰り返しになりますが、宗教の本来の目的とは、将来、特に生きる者皆が最終的に必ず行き着く「死」への不安や恐怖から人の心を守り、支えていくことにある、と私は考えています。
宗教をむやみに遠ざけるのではなく、各宗教やカルトに関する正しい知識を身につけておくことで、心の支えが何もなくなった時やどうしようもないほど強い不安に襲われた時、自分自身の人生や財産を守ることができます。
これはあくまで私個人の意見ですが、この国において多くの人がクリスマスや初詣など宗教を気にせず、楽しみたいイベントを自由に楽しんでいるスタイルそのままに、色々な宗教の教えから信じたいものを自分で選んで心の支えとする生き方でも全く問題ないと思います。
現在、世界規模で気が滅入りやすい時期が続いています。
好きなことを楽しみ、体調を整えてくれる食べ物・飲み物を摂って生活習慣を整え、その他自分にできることすべてやって、あるいはそれをする元気すら出ない時は、「困ったときの神頼み」してしまうのも一つの手かもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました!