うたとはるの往復書簡『お茶の流派』

読者のみなさん、こんにちは。はるです。
書人のうたさんと私はるの共通の趣味を、文通形式ででお送りするシリーズ第4回目。
日本文化に深く通じる月齢を意識して、満月ごとの更新でお届けして参ります。
先月、うたさんからいただいたお手紙はコチラです。
はるからうたさんへのお返事を、まずはご紹介申し上げます。
拝啓、うたさま。
秋の深まりを空に、樹々に、風に、感じられるようになってきました。
月がまたまた、まぁるく満ちてきましたね。
ひと月前、燦然とかがやく中秋の名月も力強く行く先を照らしてくれる美しさがありました。
うたさんが教えてくださった観月の宴のお話は、古の人々が月に寄せる想いを感じ、受け継いでゆきたいと改めて思いを深めるものでした。
お芋を模したお菓子もかわいらしくて、ほっこり。
そうそう!
うたさんが仰っていたように茶道は流派によって、すこしずつ作法や点前がかわりますよね。
お茶の世界を知るまでは、こんな風にいろいろな流派があるだなんて考えてもみませんでした。
共通しているのは「一服の茶をおいしくいただくために、心を尽くす」こと。
季節の移り変わりを楽しみ、お相手を想い茶を点てる、そこには少しも違いはありません。
今日は「茶の湯」と切り離すことのできない、千利休と茶道の流派について、改めて考えを深めてみたいと思います。
茶道の流派って?はじまりは千利休?
「茶の湯」「茶道」と聞いておもい浮かべる人は……?
多くの方にとって、それは『千利休(せんのりきゅう)』ではないでしょうか。
千利休とはどんな人?
まずは「千利休」という人物を振り返ってみたいと思います。
茶道の世界に身を置いていると、何をするにもこの方の存在が見え隠れします。
現代の茶道に基礎を築き、圧倒的な光を放つ「千利休」。
いったいどのような人物だったのでしょうか?
戦国の世、大阪は堺の商家に生まれました。
生まれ育った名は、田中与四郎。
茶道と出会ったのは、17歳のころです。
「織田信長」「豊臣秀吉」という武将に仕えた生涯は謎に満ちており、わび茶を大成させた「茶人」としての側面と、戦国の世であまたの武将たちとの交流を深めた「政治家」としての側面がありました。
身長180cmほどと大柄で、冷静沈着ながらも内なる野望を秘めた情熱家であったとされています。
「美」を追い求めた千利休は、いまなお、多くの人の心をつかんで離しません。
千利休の最期
『茶の湯は政治と深い関わりを持っていた』
そう聞くと「はんなりとしたお茶」の世界とは、なんだかイメージが違いますよね。
今でこそ多くのご婦人のたしなみとしての茶道という印象がありますが、実際は「男性の社交の場」「政治・事業の駆け引きの場」「戦う男性の精神を整える場」として存在していた節があります。
戦後、裏千家と呼ばれる流派が女性に向けての「茶道」を普及した歴史があり「嫁入り前の習い事」という文化に繋がりました。
- 性別
- 年齢
- 国籍
- 宗教
令和の世では、すべてのボーダーを越えて「茶の湯」の心は人々に伝わり始めていますね。
これこそが利休の求めた理想の茶の世界であった。
そう信じたい気持ちがあります。
そんな利休、時の権力者である豊臣秀吉との確執により、切腹という最期を迎えることとなります。
(その理由は諸説あり、本当のところは分かりません。)
利休の遺志を継ぐ「宗旦」とその子たちが継承した「三千家」
利休亡きあとの「茶の湯」はどうなっていったのでしょうか。
ひとつの大きな流れは「利休の直系」によって受け継がれてゆきます。
『三千家(さんせんけ)』と呼ばれ、現代の世でも大きな流派として継承されていますので、すこし歴史と特徴を紐解いてみたいと思います。
引用:武者小路千家 官休庵
上の図を見ていただくと分かるように、利休の孫「千宗旦(せんのそうたん)」の4人の息子の内、3人がそれぞれの流派を作ります。
- 次男:一翁宗守(いちおうそうしゅ)→武者小路千家(むしゃのこうじせんけ) 官休庵
- 三男:江岑宗左(こうしんそうさ)→表千家(おもてせんけ) 不審庵
- 四男:仙叟宗室(せんそうそうしつ)→裏千家(うらせんけ) 今日庵
この3流派が現在も続いている「三千家」です。
「裏千家」は全国にとどまらず海外への茶道の普及活動に力を入れた経緯もあり、日本だけでなく世界各国にたくさんのお弟子さんがいらっしゃるのも特徴的ですね。
また武者小路千家のお家元後継者・千宗屋(せんそうおく)氏は、現代アートにも造詣が深く、新しい茶の世界の可能性を感じることができます。
引用:Instagram
茶道は歴史のある「伝統文化」として考えられていますが、もともとは「新しきものとの融合」も大切とされるものでした。
『なんでもアリ』とは参りませんが、積極的に新しいものを取り入れ、革新的な道を切り開く世界だというのも、多くの経営者、芸術家に愛されている理由のひとつだと思います。
ちょっと意外ですよね。
「わびさび」と聞くと、どうしても「新しい世界」とは結び付かないような気がしてしまいます。
千利休が「わび茶」という「新しい茶の世界」を見つけていった過程を、振り返ってみましょう。
茶道のはじまりと『わび茶』
わび茶とは、いったいどのようなものでしょうか。
一言で説明するのはとても難しい、深い世界観だとは思いますが……
「簡素な美しさ」を追求した茶の様式。
そのように解しています。
利休は華やかな茶の世界から、本質を抜き取った「わび茶」の世界を大成させた人物です。
では「わび茶」のはじまりは、どこにあったのか。
二人の人物をご紹介します。
村田珠光(むらた しゅこう)
室町時代中期に奈良で活躍した茶人。
京都を舞台に繰り広げられていた「華やかな茶」の世界。
にぎやかな宴会の中のひとつの催しとして、外国(おもに中国)のきらびやかな道具を用い、楽しまれていました。
そこに「禅」の思想を取り入れ、精神の安寧、質素を良しとする感覚を加えていったのが珠光です。
これが「わび茶」の始まりとされています。
武野紹鴎(たけの じょうおう)
大阪・堺の豪商。
珠光がはじめた「わび茶」の世界をさらに深めた人です。
そして若き田中与四郎、のちの千利休はこの珠光の弟子となることで現在に続く「茶道」の礎を築いていくこととなります。
国際的な商業都市として栄えていた大阪・堺の町の商人の財力は、芸術や文化、工芸を支える大きな力となり、経済的な豊かさはその真逆にある簡素な美しさを求める欲動となったのかもしれません。
「わび茶」を大成させた利休からつながる「茶の道」
村田珠光、武野紹鴎というふたりの「わび茶」の巨匠から、その心を受け継ぎ大成させた千利休。
先にご紹介した「三千家」以外にも、その想いを受け継ぎ、現在につないでいる流派があります。
それは利休の弟子、弟子の弟子、子孫の弟子から続く物語です。
利休からつながる「茶の道」
茶道の流派は100近くあるとも言われ、その全容は簡単には明らかにできません。
三千家の他に知られている流派として、次の3つを簡単にご紹介しますね。
織部流(おりべりゅう)
千利休の弟子として、また「織部焼」を生み出した人として有名な「古田織部」を流祖とします。
漫画「へうげもの」の主人公として描かれているのでご存知の方も多いのではないでしょうか。
遠州流(えんしゅうりゅう)
古田織部の弟子として茶の道を学んだ「小堀遠州」が流祖です。
自ら、建築・作庭も行い、和歌や書画にも優れた遠州は、独自の「きれい寂び」と呼ばれる世界を確立していきます。
宗徧流(そうへんりゅう)
流祖は千利休の孫、宗旦の高弟である「山田宗徧」
合理的で無駄のないシンプルなスタイルは、都会的な印象があります。
「忠臣蔵」で赤穂浪士討ち入りの晩に、吉良上野介邸で茶会をしていたことで広く世間に知られるようになりました。
あたらしく自分の世界で羽ばたいた現代の茶の世界
流派によって、何が違うのか。
受け継がれる「伝統」は大切にしたいものです。
でも、本来「茶道」とは新しいものを生み出す芸術性の高さも持ち合わせている世界。
各々が学び得たものを、自身の中できちんと消化した上で生まれてきた様々な「茶の道」では、点前・作法のひとつひとつに意味があり、各流派それぞれのポリシーがあります。
- クリーミーに泡立てるのか、泡のない茶を点てるのをよしとするのか。
- 畳は何歩で歩くのか。
- 右手を使うのか、左手を使うのか。
本当に小さな、小さな違いを積み重ね、それぞれの流派や会の独自の文化が育まれています。
その根底に共通してあるのは「一服の茶」を楽しむ心。
そこに尽きると思っています。
そして今、現代の茶の世界において、長い歴史を継承しながらも「令和の世」に寄り添う形が模索されているのをご存知でしょうか。
■日本テーブル茶道協会
「入門して親子以上の関係を深める」茶道のスタイルには少し抵抗があるけれど、気軽に「平穏なこころで静かな時間」を持ちたい現代人のリクエストに応えたスタイルを提唱。
公式HP https://japantablesado.com/index.html
■茶論
シンプルでナチュラルな暮らしの中に、茶道のあるひとときを取り入れる。
木村宗慎氏が監修し、茶道の本質をとらえながらも、あわただしい日々の中にやすらぎをもたらす世界のご提案です。
公式HP https://salon-tea.jp/lesson/
このように、気軽に始められる茶の世界が、今はたくさんあります。
興味はあるけれど、なんだか怖いなと感じている方にも、ぜひ扉を開いていただきたいなと思います。
『お茶の流派』おしまいに
茶道には100近い「流派」が存在します。
「千利休」という大きな存在を育んだ二人と、茶道を継承してきた流派をご紹介してきました。
そしてその想いを現代で新たな形で、つないでいるスタイルも。
改めて茶道を現代につないできた方々を振り返り、積み重ねられてきたものの重みを感じると同時に、もてなしの心、美しい世界を伝える心を知っていただけたでしょうか。
茶道はやさしい世界であることを、皆さんにも感じていただけましたら嬉しいです。
今宵の満月のようなあたたかな光が、皆さまの毎日にも降り注ぎますように。
千利休をはじめ、茶の道を歩まれてきた先人のことを思う夜です。
その時、その時に最善を尽くし、よりよい世界を生み出そうと努力されてきた事実を考えると、ただただ古いものではないということ、新しきもの、よりよきものを模索し続けたという面を感じることができました。
うたさんと同様に茶道の世界は、とても深く終わりがないとしみじみ感じます。
歴史は「今」の積み重ね。
伝統の中に身を置かせていただくと、その歴史の「今」のひとつであることが嬉しくなります。
つないでゆく1人として、今宵も優しい気持ちで一服。
気づけば寒さの中で目を覚ます季節となりました。
いよいよ冬の到来です。
御身大切に、良き日をお過ごしくださいね。
ではまた。
11月31日、次の月の満ちるころに。
かしこ
はる
▼うたとはるの往復書簡シリーズ
第1回『お茶席のマナー』 uta
第2回『お茶会のお菓子』haru
第3回『観月』uta
第4回『お茶の流派』haru
第5回『歴史の中の茶道の役割とは?』uta
第6回『茶道と日本の伝統文化の未来』haru