『赤毛のアン』今こそ大人の女性が読みたい物語!あらすじと感想

こんにちは、wakkaです。

読者のみなさまは『赤毛のアン』をご存知ですか?

名作児童文学として、有名ですね。

「大好き!」というファンの方も、大勢いらっしゃることでしょう。

(私は、最近まで未読でした。)

「子供のための物語でしょ?」

などと勝手なイメージから敬遠していました。

(ファンのみなさまごめんなさい)

ところが、読んでみると全く違いました!

『赤毛のアン』には、今を生きる大人の女性も共感する部分がありました。

先の見えない不安な今の時代こそ読んでいただきたい小説です。

『赤毛のアン』を読みながら、いろいろな考えが胸をよぎりました。

まずは読み終わってから、特に心に残ったことをお伝えします。

赤毛のアンを読んだ感想
  • 110年以上昔も今も家族の形や家族愛は変わらない
  • 暮らしの中に喜びを見つけることの大切さ

むしろ大人になってから読んだ方が楽しめる小説です!

ここからは大人の女性にこそ読んでほしい『赤毛のアン』の魅力。

現代に生きる私たちへどんなメッセージが送られているのかご紹介します。

目次

『赤毛のアン』とはどんな小説?

『赤毛のアン』は、1908年にカナダの作家L.H.モンゴメリ(ルーシー・モード・モンゴメリ)によって書かれた小説です。

110年以上前に書かれた小説ですね。

そのあと全11巻にわたって主人公アンの成長とアンの子供たち、孫たち、村の人々の物語が描かれています。

『赤毛のアン』はシリーズの第1巻で、アンが11歳から16歳までの物語です。

日本では、村岡花子さんの翻訳で1952年三笠書房から初めて出版されました。

外国の生活への憧れと相まって日本の女の子たちにも広く受け入れられました。

引用:Amazon

こちらが、現在販売されている新潮文庫、村岡花子さん翻訳の『赤毛のアン』です。

ファンの方には、お馴染みの表紙でしょう。

それでは、『赤毛のアン』のあらすじをざっくりご紹介します。

『赤毛のアン』のあらすじ

ここから、『赤毛のアン』を読んでいない方のために、あらすじをご紹介します。

カナダのプリンス・エドワード島の田舎町アヴォンリーに、農場を営む年取った兄妹が住んでいます。

兄の名前はマシュー・カスバート、内気で無口。

女性が苦手で60歳になっても独身、妹と二人暮らしです。

妹はマリラ・カスバート、働き者できれい好き、少し頑固なところがあります。

兄妹そろって人付き合いが苦手、ひっそりと暮らしています。

二人は農場の仕事を手伝える男の子の孤児を養子として迎えることにしました。

ところが、手違いからやってきたのは女の子の孤児アン・シャーリーでした

アンは、赤毛で、大きなグレーの瞳、青白い顔をしたやせた女の子です。

とてもおしゃべりで、想像力豊かな子です。

男の子ではなかったのですが、結局マリラとマシューはアンを養子にします。

プリンス・エドワード島の美しい自然を舞台に、アンと周りの人たちの日々が描かれています。

110年以上前に書かれた物語とは思えないほど、現代にも通じる愛情と希望に満ちた『赤毛のアン』

この物語は多くの人の心をつかんで、世界中で読まれ続けています。

ここからは、私が偶然手に取ったある翻訳家の『赤毛のアン』についてご紹介します。

私が読んだもう一つの『赤毛のアン』

私が読んだ『赤毛のアン』はこちらです。

引用:Amazon

松本侑子さんの翻訳版で、2019年に出版されました。

こちらの『赤毛のアン』は、原文に忠実に訳されています。

みずみずしく美しい訳文は、児童文学ではなく大人の小説といえます。

物語の中に多数出てくる、シェイクスピア劇、詩、聖書の言葉などが美しく自然な日本語に訳されています。

松本侑子さんが初めに『赤毛のアン』を翻訳し、集英社文庫から出版したのは2000年でした。

第一巻『赤毛のアン』から第三巻『アンの愛情』まで出版されています。

そのあと、

19年間にわたって『赤毛のアン』シリーズについて地道な海外調査と研究を重ね、旧版を全面的に改稿して本書を文春文庫から出版しました。

現在、第6巻『炉辺荘のアン』まで出版されています。(2021年11月現在)

このあとも松本侑子さんの翻訳版は、シリーズ全巻出版される予定だそうです。

松本侑子さん翻訳の『赤毛のアン』の魅力の一つは、巻末に「訳者によるノート~『赤毛のアン』の謎とき~」として、解説が掲載されているところです。

この解説によって、物語の理解が深まり世界が広がります。

さらに巻頭には、翻訳者松本侑子さんが研究調査の過程で撮影した写真も掲載されています。

作者モンゴメリの写真、プリンス・エドワード島の風景、ゆかりの品々などです。

翻訳者・松本侑子さんの愛が詰まった、本書は正に『赤毛のアン』の決定版です!

私は、訳文と解説によって楽しく読み進めるうちに、物語に引き込まれました。

物語に引き込まれたのは、当時の生活がいきいきと描かれていたからです。

描かれている生活の様子
  • 家の中
  • 家事
  • 学校
  • 衣服
  • 食事
  • 植物

普通の生活が細かく描写されています。

110年以上前の物語ですから、電気もガスもない時代です。

当時の生活がよくわかり、興味深く楽しめます。

例えば、このような場面が描かれています。

準備は全部終わったわ、ダイアナ。あとは、明日の朝、私がケーキを焼くのと、マリラがお茶の前に、ベーキングパウダーを入れたビスケットを焼くだけよ。とにかくダイアナ、この二日間というもの、マリラと私は、てんてこ舞いの忙しさだったのよ。牧師さんご一家をお茶に呼ぶって、たいへんなことだったのね。こんな経験をしたのは生まれて初めてよ。うちの配膳室(パントリー)を、見せてあげたいくらい。目をみはるような眺めなんだから。お出しするのは、チキンのゼリー寄せと牛タンの冷菜。それからゼリーは赤いのと黄色いのと二種類、ホイップクリームをのせたレモンパイ、チェリーパイ、クッキーが三種類に、フルーツケーキ、マリラご自慢のイエロープラムの砂糖煮、これは牧師さんのために特別にとってあるのよ。そしてパウンドケーキとレイヤーケーキ、それからさっき言った、ビスケット。

引用:文春文庫「赤毛のアン」訳:松本侑子(以下引用同じ)

なんというご馳走!これだけ準備するのは、ベテラン主婦マリラとアンの二人がかりでも、大変な仕事だったことでしょう。

解説を読むとさらに理解が深まります。

レイヤーケーキ・・・ふくらし粉を入れて高くふんわり焼いたスポンジケーキを横に薄く切り、その間に、ジャムやクリームなどをはさんで層(レイヤー)を作ったケーキ。日本ではイチゴなどのショートケーキが該当する。

チキンのゼリー寄せ・・・冷蔵庫がない当時、豚肉は塩漬けにするため古くなり、牛肉は畜肉商人から買うもののすぐに傷むため、来客の食事には、飼育している鶏をしめて出す鶏肉が最も高級な肉とされた。チキンのゼリー寄せは、鶏肉をゆでて裂いた身と彩の良いゆで野菜を、鳥のゆで汁スープと共にゼラチンで固めた見た目も美しい冷菜。このお茶会の献立は豪華だが、温菜はなく、冷菜と菓子のため食事会ではなくお茶会。

パウンドケーキ・・・バター、卵、砂糖、小麦粉を各1パウンド(ポンドの英語の発音、約45グラム)入れて焼くことから、この名がある。若いアンは当時の新商品ふくらし粉を使った最新流行の北米式レイヤーケーキを、マリラはふくらし粉を使わない昔ながらの古風でどっしりした英国式ケーキを焼いている。

牧師さん一家をお茶に招待して、入念に準備していることがわかる場面です。

さらに解説によって理解が深まりますね。

このお茶会の結末は?気になった方は、ぜひ『赤毛のアン』を読んでみてください。

このように日常がいきいきと描写されていて、松本侑子さんの翻訳版で『赤毛のアン』の世界がより深く楽しめます。

それでは、私がおばさん随分大人になってから『赤毛のアン』を初めて読んだ感想をお伝えします。

『赤毛のアン』がくれた私たちへのメッセージ

松本侑子さん訳の『赤毛のアン』を読んで、まず感じたのは「家族って110年以上前も同じだったんだな」ということです。

今と変わらない家族の物語

私は『赤毛のアン』を読みながら、アンの成長を見守るマリラやマシューの気持ちに共感しました。

今の自分はアンよりはマリラの方が年齢が近いので「わかる!!」とうなずく部分が多かったのです。

マリラとマシューは、子育て経験のない独身年配者の兄妹です。

そんな彼らが10代の女の子を養子にするって大変なことですよね!

アンを養子にすると決めたマシューとマリラは、話し合って役割を決めます。

その場面がこちらです。

「でも、役に立つように躾けますからね。言っときますけどね、マシューくれぐれも私のやり方に口出ししないでくださいよ。いい年をした独身女は、子育てには不慣れかもしれないけど、初老の独り者の男よりはましですからね。私にまかせてくださいよ。兄さんが余計な世話を焼くのは、私がしくじった時だけですよ。」

「ああ、いいとも、マリラ、お前の好きなようにやっていいよ」マシューは妹を励ますように言った。「ただな、甘やかさない程度に、優しく、親切にしてやっとくれよ。あの子はおまえになつきさえすれば、ちゃんと言うことを聞く子だと思うでな」

マリラがアンのしつけと教育を担当します。

マシューは、マリラのすることに口を出さないと約束しています。

アンが女の子だったので、マリラが教育することになったのでしょう。

家庭の中で子供の教育は主に女性の仕事なのは、現代の家族の形にも似ていますね。

マリラは、アンを立派な女性に育てると決心しました。

責任感からマリラは、アンにいつも小言を言って、お説教しています。

言いたくないけど、ついつい言ってしまうマリラの気持ちよく分かります。

一見アンに厳しく接しているマリラですが、実は愛情を注いでいます。

マリラの母性と愛情が深まる様子がよくわかる場面がたびたび出てきます。

物語の見どころの一つです。

例えば物語の冒頭、リンド夫人(隣家の主婦)の目を通してマリラの見た目や性格を伝えています。

何気ない場面ですが、松本侑子さんの解説を読むと、理解が深まります。

野生林檎の砂糖煮(クラブ・アップルのプリザーヴ)・・・くだものの砂糖煮は、お茶や簡単な食事に出された。これは保存食であり、さくらんぼ、すももなどを砂糖で煮た。しかしクラブ・アップルは実が小さく酸っぱいためその砂糖煮は来客用ではない。そこでこの砂糖煮は、マリラが野生の小さな実も粗末にせずに摘み集めて保存食にする働き者の倹約家であること、そして本作冒頭のマリラは、本土から遠路はるばる来る子どもを喜ばせようという気働きのない女性であることを伝える。しかし物語が進むにつれてマリラがアンに作る料理が変わり、マリラの成熟とアンへの愛情の深まりを読者に伝える。

物語が進むと、このような場面が出てきます。

「何にだってキスできるくらい、時計にだってよ、マリラ。ローストチキンだ!まさか私のために作ってくれたの!」

「そうだよ。長い道中で、おなかが空いたろう、何か美味しいものが食べたいだろうと思ってね。早く上着を脱いでおいで。マシューが帰ったら、すぐに食事だよ。あんたが帰ってきてくれて、嬉しいよ、本当だよ。あんたがいなくて、寂しくてたまらなかった。こんなに長い四日間は、初めてだったよ」

たった四日間アンが家を離れただけなのに!ほほえましくも、温かい場面ですね。

少しずつアンが大人になり、手を離れていくことを寂しがっているとわかります。

マリラは、自分の寂しかった気持ちを素直に言葉に出しています。

アンを育てることで、マリラにも変化と成長があったのです。

来客用の貴重な鶏をアンのために料理しています。

実家に帰ってくる娘の「好きなおかず」をたくさん作って待っている、現代の母親と全く同じですね!

一方マシューは、いつでもアンの味方です。

マリラとの約束を守りながらも、アンをそっとフォローしてくれます。

アンに甘々なマシューがたびたび出てきて、ほほえましい場面となっています。

「そうさな、アン。マリラの言うことをきいて、早くすませたほうがいいと思わないかい?遅かれ早かれ、しなくちゃならんのだよ。マリラは言い出したら後へは退かない女でな。一度決めたら梃子でも動かんよ、アン。だからすぐにやって、終わらせておしまいよ」

「リンドのおばさんに謝りなさいと言うの?」

「ああ…お詫びだ…その通りだ」マシューは力をこめて言った。「いわば、物事をまるく収めるということだ。わしが言いたいのは、そういうことだ」

「マシューのためならできそうな気がするわ」アンは考えながら言った。

マシューは、マリラに見られなようにそっとアンの部屋へ行きアンを説得している場面です。

無口で口下手なマシューが懸命にアンを説得しています。

現代の「娘に甘い父親」と同じですね!

マシューの存在があったので、アンはのびのびと成長したのです。

物語の後半に出てくる、アンとマシューの会話がとても感動的でした!

(涙もろい私は、涙があふれました。)

ここで書くとネタバレになってしまいますので、どの場面かは秘密にしておきますね。

興味をもった読者さまは、ぜひ『赤毛のアン』を読んでみてください。

「きっとこの場面だ!」とピンとくるでしょう。

絶妙なバランスで、力を合わせて子育てする兄妹。

ベースにあるのは、ゆるぎないアンへの愛情です。

私が『赤毛のアン』を読んで一番感銘をうけたのは、時代を経ても変わらない部分です。

昔も今も変わっていないところ
  • 家庭の中での女性の役割
  • 子育ての苦労
  • 親の愛情表現(マリラの場合は養母ですね)
  • 娘に甘い父親
  • 子育てはフォローする人がいることが大切
  • ベースにあるのは子供への愛

ここからは、マリラとマシューの愛を受けてのびのびと育つアンから受けとったメッセージをお伝えします。

アンからのメッセージ

アンは、誰からも好かれる天真爛漫な典型的なヒロインだったのでしょうか?

物語を読むとそうではないとわかります。

印象的な場面は、手違いからやってきたアンを孤児院へ帰そうとするところです。

「あのね、おばさん」アンは、秘密を打ち明けるように言った。「私、このドライブを楽しむことに決めたわ。私の経験から言うと、物事は楽しもうと思えば、たいていどんな時でも楽しめるものよ。もちろん、楽しもうと固く決心することが大事よ。私、馬車に乗っている間は、孤児院に帰ることは思わないようにして、馬車のドライブだけを考えることにするわ。ほら、見て、早咲きの小さな野薔薇!きれいね。」

なかなか言える言葉ではありません!

私は、胸がギュッとしました。

11歳の私だったら、孤児院に帰る悲しみでいっぱいでドライブを楽しむことはできないでしょう。

道端の小さな野薔薇に目を止める余裕もないでしょう。

アンは前日の夜に泣き、落胆します。

しかし、どうにもならないことを悟って、その中に少しでも楽しみを見つけようとします。

これこそが物語の中で作者モンゴメリが伝えたかったことでしょう。

作者モンゴメリからのメッセージ

人生はうまくいかないこともある。

それでも、日々の暮らしの中に喜びや楽しみを見つけながら、未来を信じる人に幸せは訪れる。

アンを通して、私たちに伝えているのです。

アンは、つぎつぎと失態を演じて落ち込んだり、泣いたりします。

怒りを爆発させたり、ケガをしたり、そのたびに想像力を大いに使って物事の明るい面を見ようとします。

プリンス・エドワード島の美しい自然は、アンのなぐさめになり想像の糧になります。

物語の終盤輝かしい未来が待っているときに、アンの運命が大きく変わってしまいます。

その選択は、アン自身がします。

それからアンは、東の切り妻屋根の部屋に上がり、窓辺にすわった。明かりもつけず、暗がりに一人ぼっちでいると、涙がこぼれ、気持ちは重く沈んだ。クィーン学院の卒業式を終えて家に帰った晩、ここにすわったときにくらべると、何という悲しい変りようだろう!あの夜のアンは、希望と歓びに満ちていて、未来には薔薇色の可能性が開けていた。あれから何年もたったような気がした。しかし、ベッドに入る前には、アンの唇に笑みが浮かび、心に平安が戻った。アンは、自分のとるべき道を、勇気をもって正面から見すえ、味方にしたのだ。たとえ義務であっても、心を開いて当たれば、よき友になるのである。

アンは、決断したことに喜びと明るい未来を見出したようです。

決心をしたアンは、このように語ります。

「クィーン学院を出た時、私の未来は、まっすぐな一本道のように目の前にのびていたの。人生の節目節目となるようなたくさんの出来事も、一つ一つ、道に沿って一里塚のように見わたせたわ。でも、今、その道は、曲がり角に来たのよ。曲がったむこうに、何があるかわからないけど、きっとすばらしい世界があるって信じていくわ。それにマリラ、曲がり角というのも、心が惹かれるわ。曲がった先に、道はどう続いていくのかしら…緑の輝きや、そっときらめく光と影があるかもしれない…新しい風景が広がっているかもしれない…美しいものに出逢うかもしれない…その先でまた道は曲がって、丘や谷があるかもしれない」

アンは自分の運命を受け入れ、素晴らしい未来を信じています。

『赤毛のアン』を読みながら「幸せ」って思ったのは、最近ではいつかだったかな?と考えました。

ご飯を食べて、お風呂に入って、ぐっすり眠る、普通の生活が「十分幸せ」だと気付きました。

私は日常の中で、幸せを意識することがありませんでしたが、『赤毛のアン』を読んで日常の生活にこそ幸せがあふれていると気付きました。

こうして記事を書いているのも、とても幸せな時間です。

私は、心配ごとや不安がいつも頭の片隅にあります。

心配してもどうにもならない事に対しても、先回りして「こうなったら嫌だな」と不安になることがあります。

しかも心配ごとは実際には起こらない場合が多いのです。

これからは、暮らしの中の幸せに気付き、小さな喜びを探してみます。

『赤毛のアン』を読んで、これから明るい未来を信じたいと思いました。

思うようにいかないことがあっても、物事の明るい面を見て未来を信じて日々過ごしたいですね!

大人の女性こそ読みたい『赤毛のアン』

今回は、私が遅まきながら読んだ『赤毛のアン』の感想をお伝えしました。

『赤毛のアン』はこのような小説です。

赤毛のアンとは
  • 1908年出版。作家L.H.モンゴメリによって書かれた小説
  • 日常の生活がいきいきと描写されている
  • 松本侑子さんの翻訳で楽しく読めて理解が深まる

『赤毛のアン』は、110年以上前に書かれた小説です。

古さを感じさせない、心に残る小説でした。

私が『赤毛のアン』を読んだ感想は次の通りです。

赤毛のアンを読んで
  • 家族の形、家族愛は110年以上たっても変わっていない
  • 普段の生活そのものが幸せ
  • 暮らしの中に喜びや楽しみを見つける
  • 心配ごとや不安ばかりに目を向けず、物事の明るい面を見る
  • 明るい未来を信じる

明るい気持ちになる『赤毛のアン』を読んで良かったです。

読んでいる時間は、幸せな時間でした。

『赤毛のアン』は、読む人によってさまざまな楽しみ方ができる小説です。

何歳で読んでもそのとき、そのときに発見があるでしょう。

不安やストレスを感じることが多い現代、大人の女性にこそ読んでいただきたい小説です。

興味を持った方は、ぜひ『赤毛のアン』を読んでみてくださいね!

もちろん私のおすすめは松本侑子さん訳の文春文庫版です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

※この記事は書人百花記事のゲート試験記事として、添削を受けた上で公開しています。
添削前の記事は『赤毛のアン』今こそ大人の女性が読みたい物語!あらすじと感想 (itudemodokodemo.com)ご覧ください。

 

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